第11話:【運動会の悲劇】社内行事と、香ばしい鰹節の煙
吾輩は猫である。名前はソーセキ。
我が主人は、会社という組織の理不尽なイベントに巻き込まれるたび、身も心もボロボロになって帰ってくる。
漱石の描いた苦沙弥先生は、学校の運動会で生徒たちの騒音や理不尽な熱気に辟易していたが、現代の主人が見舞われたのは「社内親睦レクリエーション運動会」なる悪夢であった。
会社の嫌味な上司・赤シャツに「実行委員」という面倒な役目を押し付けられた主人は、休日返上で駆り出され、足を釣らせながら大玉転がしや綱引きの準備に追われたらしい。
日曜の夕方、足を引きずりながら店に辿り着いた主人の顔は、すっかり土気色(つちいろ)であった。
「……ソーセキ、もうダメだ。上司には『盛り上げ方が足りない』と怒られ、後輩からは『進行が遅い』と責められ……俺の心は完全に粉々だよ……」
玄関でそのまま倒れ込みそうな主人が、大事そうに抱えていた紙袋があった。一番街の老舗「中市本店」で買ってきた、川越名物「ねこまんまおにぎり」である。
「……煙の匂いに吸い寄せられてさ。これ食べて、体力を削られた分を取り戻さないと……」
炭火で網焼きにされたおにぎりに、特製のだし醤油が塗られ、その上にこぼれんばかりの鰹節がどっさりと載っている。パカッと袋を開けた瞬間、香ばしい醤油の焦げた匂いと鰹節の上品な香りが部屋いっぱいに広がった。
「うわぁ……美味い……! 表面はパリッとしてるのに、中はふっくらしてて……鰹節の旨味が五臓六腑に染み渡る……」
一口頬張るごとに、主人の顔から社内行事の惨劇が消え、じんわりとした幸福感が戻ってくる。シンプルな「おにぎり」だからこそ、疲れ果てた胃袋と心にまっすぐに響くのだろう。
「ふぅ……会社でどんなに理不尽な目に遭っても、こういう美味いものを自分の足で買いに行って食べる自由はあるんだよな」
おにぎりを完食した主人は、畳の上に大の字になって深く息を吐いた。
吾輩は呆れつつも、疲れと達成感で胸を膨らませる主人の背中へ「ひょい」と飛び乗ってやった。
「うぐっ……重い……でも、鰹節の匂いが残ってるせいか、お前がいつもより嬉しそうだな」
主人は苦笑しながら、吾輩が落ちないようにそっと背中を丸めてくれる。
――まぁ、今宵はお前の背中が少しばかり温かいから、許してやるがな。
【今回の聖地&川越スポット】
- スポット: 中市本店(川越市幸町・一番街)
- 川越グルメ: ねこまんまおにぎり(中市本店)
- 小ネタ: 創業明治初年の鰹節・乾物専門店が店頭で焼き上げる人気おにぎり。自家製だし醤油と削りたての鰹節(本枯節・いわし節)がたっぷりかかった香ばしい一品は、理不尽な日常で疲れた心を力強く励ましてくれる。

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