【第8話】現代版・吾輩は猫である @ 川越

第8話:【トチメンボーの由来】利き酒処と「酵母の裏切り」

吾輩は猫である。名前はソーセキ。

我が主人は、酒にはめっぽう弱い癖に、知識だけは一人前に溜め込みたがる「頭で飲む」タイプの男である。

漱石の描いた迷亭は、「トチメンボー」という架空の料理の名をでっち上げて主人の苦沙弥先生をまんまと騙したが、我が主人の周りにもまた、似たような口八丁の男が存在する。主人の妻の叔父にあたり、自称・美学者の美濃部(みのべ)である。

ある日の夕方、主人は美濃部に連れ出され、川越駅近くの観光施設「小江戸蔵里(こえどくらり)」にある昭和蔵の利き酒処へとやってきた。埼玉県内の酒蔵がズラリと並ぶ自動利き酒マシンを前に、主人はすっかり呑み助の顔を決め込んでいる。

「叔父さん、日本酒ってのはね、ただ飲めばいいというものじゃないんです。酵母の働きと米の磨きが生み出す芸術なんですよ」

主人はお猪口(ちょこ)を傾け、目を閉じてちびりとやった。

「ふむ……この銘柄はフルーティーだが、後味に僅かな苦味が残る。……これはまさに『酵母の裏切り』と言わざるを得ませんね。この微細な変化に気づけるかどうかが、酒の味を解る人間と解らない人間の境界線です」

「ほう、酵母の裏切りとな! さすがは店主、実に風流な言い回しだ」

美濃部がおもしろおかしく持ち上げるものだから、主人は調子に乗って「この蔵元の仕込み水は……」「酸度と日本酒度のバランスが……」と、ネットで仕入れた知識を講釈し続けた。

ところが、である。

美濃部がニヤニヤしながら、主人が絶賛していたお猪口のラベルを指さした。

「ところで店主、君が今『酵母の裏切り』と熱弁していたその酒だがね……さっき君がボタンを押し間違えて出てきた、ノンアルコールの甘酒なんだがね」

「……えっ?」

主人の動きがピタリと止まった。顔がさーっと青ざめ、次いで熟した柿のように真っ赤に染まっていく。

「こ、これは……甘酒の中に潜む米麹の原初的な主張を……その……」

「ハハハ! トチメンボーも青くなったものだな! 酒も飲めぬ癖に通ぶるからそうなるのだ!」

美濃部に腹を抱えて大笑いされ、主人は完全にトチメンボー(恥ずかしさのあまり顔をゆがめること)となり、逃げるように店を飛び出してきた。

夜、失意のどん底で帰宅した主人は、コタツに突っこしたまま「俺はもう二度とお酒の講釈は垂れない……」と絶望的な声で呟いていた。知ったかぶりがバレた恥ずかしさは、胃薬でも治せないらしい。

吾輩は呆れつつも、コタツの上から主人の丸くなった背中へ「ひょい」と飛び乗ってやった。

「うぐっ……ソーセキ……お前だけは俺の『酵母の裏切り』を笑わないでくれ……」

落ち込む主人は背中を丸め、吾輩が落ちないようにそっと手で支えてくれる。

――まぁ、今宵もお前の背中が少しばかり温かいから、許してやるがな。

【今回の聖地&川越スポット】

  • スポット: 小江戸蔵里(川越市新富町・昭和蔵 利き酒処)
  • 小ネタ: 埼玉県の全酒蔵の日本酒がコイン式マシンで試飲できる人気スポット。通ぶった講釈を垂れるには絶好の場所だが、ボタンの押し間違いにはくれぐれも注意されたい。

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