第16話:【迷亭のホラと黒豚】脱線するメニュー会議と、極上玉子サンド
吾輩は猫である。名前はソーセキ。
我が主人の「古本と珈琲の店」の路地裏には、忘れた頃にやってきて場を混乱に陥れる男がいる。主人の叔父であり、うんちく好きの道楽者・美濃部(みのべ)である。
漱石の描いた『猫』の迷亭よろしく、美濃部は頼んでもいないのに「アドバイザー」を自称し、プレオープン前の店にやってきては主人のメニュー開発に口を出してくるのだ。
「おい、甥っ子よ! 今の時代、ただの珈琲と古本だけじゃ客は来んぞ! 目玉となる『幻のフードメニュー』が必要だ!」
そう言って美濃部がテーブルに広げたのは、手描きの怪しげなアイデアスケッチであった。
「川越といえば『小江戸黒豚』だ! これを極限まで熟成させ、金箔を塗ったトーストで挟んだ『小江戸黒豚金箔サンド』を千五百円で出す! これでインスタ映え間違いなしだ!」
「ち、美濃部さん……うちは静かに本を読んでもらうカフェにしたいんだよ。そんなド派手な肉料理、うちの小さな厨房じゃ作れないし、そもそも予算が……」
主人が胃を押さえながら困惑していると、美濃部は「甘い! 時代の波に乗らんか!」と持論のうんちくを1時間も語り続けた。脱サラ準備の現実的な計算で頭がいっぱいの主人にとって、美濃部の浮世離れしたホラ話は胃痛を加速させる以外の何物でもない。
収集がつかなくなったその時、見かねた主人の友人・菅(すが)がドアを蹴破るように入ってきた。
「おいおい美濃部さん、妙なホラで店主を困らせるなよ! 肉と卵の本当に美味い組み合わせってのは、もっとシンプルなんだよ!」
菅がドカンと机に置いたのは、蓮馨寺のすぐ近くにある人気店「小江戸オハナ」で買ってきたテイクアウトの「極上玉子サンド」であった。小江戸黒豚の旨味を添えた玉子焼きが、ふんわりとしたパンに挟まれている。
「能書きはいいから食え!」
菅に促され、主人は美濃部と一緒に玉子サンドを口に運んだ。出汁がじんわり溢れる極厚のふわふわ玉子焼きと、隠し味として絶妙なコクを与える黒豚の旨味。余計な飾りのない、圧倒的な素材の美味さが口いっぱいに広がる。
「……うまっ! 黄金色の卵がすごく出汁効いてて……シンプルなのにめちゃくちゃ満足感がある……」
「な? 金箔なんて貼らなくても、丁寧に作ったものはちゃんと美味いんだよ」
菅の言葉に、美濃部も「うむ……まあ、この出汁の引き方は見事だな」と悔しそうに唸り、いつの間にか熱弁を振るっていたホラ企画は立ち消えとなった。
大騒ぎの末に二人を見送り、嵐が去った店内で主人は「はぁ……メニューはシンプルで誠実なものにしよう」とほっと胸を撫で下ろした。
吾輩はカウンターから飛び降りると、アイデア倒れでドッと疲れた主人の背中へ「ひょい」と飛び乗ってやった。
「うぐっ……ソーセキ。迷亭みたいな叔父さんには参るけど、美味いサンドイッチが食えたから良しとするか……」
主人は苦笑しながら、落ちないように背中を丸めて手でそっと支えてくれる。
――まぁ、今宵はお前の背中が少しばかり温かいから、許してやるがな。
【今回の聖地&川越スポット】
- スポット: 小江戸オハナ(川越市連雀町・蓮馨寺参道)
- 川越グルメ: 極上玉子サンド(小江戸オハナ)
- 小ネタ: 卵料理専門店が作る、貴婦人の卵焼きを挟んだ名物玉子サンド。あふれ出る豊かな出汁の風味と小江戸黒豚等の旨味が調和した極上の味わいが、突飛なアイデアに振り回されていた主人の目を覚まさせてくれる。

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