第18話:【泥棒の置き土産】忘れ物騒動と、焼き立てのお芋ベーグル
吾輩は猫である。名前はソーセキ。
我が主人の「古本と珈琲の店」は、プレオープン中とはいえ路地裏の静かな場所にある。ゆえに時折、妙な珍客が迷い込んでは騒動を巻き起こしていく。
漱石の描いた『猫』では、苦沙弥先生の家に反物盗人が侵入し、ナツメグの缶や着物を盗んで読者を呆れさせたが、我が主人の店に現れたのは盗人ではなく、慌てん坊の観光客であった。
夕暮れ時、カウンターの隅でノートパソコンを開き、経費の計算に頭を抱えていた主人の元へ、ひとりの男が青ざめた顔で飛び込んできた。
「す、すみません! さっきここで本を見ていた者なんですが、黒いポーチの置き忘れはありませんでしたか!?」
「えっ!? あ、えーっと……」
主人はオロオロしながらカウンターの周りや本棚の隙間を探し回った。普段から失くし物が多い主人ゆえ、他人の忘れ物となると自分のことのように焦り出す。
「ありました! ほら、この本棚の段に!」
主人が見つけたポーチを手渡すと、男は胸を撫で下ろし、「命の恩人です! 中に旅の予算が全部入ってたんです!」と深々と頭を下げて去っていった。
嵐のような騒動が収まり、主人は「はぁ……心臓に悪い。自分の店で盗難や紛失騒ぎが起きたかと焦ったよ……」とガクガク震える手で温かいお茶を淹れた。
その時、男が感謝のしるしにとカウンターに置いていった小袋があることに気づいた。川越の街角で行列ができる人気のパン屋で買ってきたという、焼き立ての「お芋のベーグル」である。
「……あ、あの人、これ置いていってくれたんだ」
袋を開けると、香ばしい小麦の香りと、さつまいもの柔らかな甘い香気が一気に広がった。ずっしりと重みのあるベーグルを割ってみれば、モチモチとした生地の中に、黄金色の角切りさつまいもと芋ペーストがぎっしりと詰まっている。
「うわ……皮はパリッとしてるのに、中はモチモチで……さつまいもの甘みがすごく濃いな……」
一口頬張るごとに、モチモチとした噛みごたえと芋の素朴な味わいが、焦りで冷え切っていた主人の心をじんわりと温めていく。
「……誰かの役に立って、そのお返しにこんな美味いものを貰えるなんてさ。店を始めて良かったなって、少し思えたよ」
ベーグルを平らげた主人は、ふんわりと優しい笑顔を浮かべながら、再びパソコンに向かってキーボードを叩き始めた。その背中からは、先ほどまでの怯えや不安がすっかり消えていた。
吾輩はカウンターから飛び降りると、少し頼もしくなった主人の背中へ「ひょい」と飛び乗ってやった。
「うぐっ……ソーセキ。お前の重みも、このベーグルみたいにずっしり温かいな」
主人は苦笑しながら、落ちないように背中を丸めて手でそっと支えてくれる。
――まぁ、今宵はお前の背中が少しばかり温かいから、許してやるがな。
【今回の聖地&川越スポット】
- スポット: 川越市内の人気ベーカリー(一番街・連雀町周辺)
- 川越グルメ: お芋のベーグル
- 小ネタ: 川越名物のさつまいもをゴロゴロと生地に練り込んだ、モチモチ食感がたまらないご当地ベーグル。焦りやトラブルで荒れた心を、ズッシリとした温かな旨味で優しく解きほぐしてくれる。

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